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環境

気候変動問題と向き合い、世界の中で「私ができること」を考える

2025年12月25日

撮影場所:WeWork赤坂グリーンクロス 会議室

イギリスのサスティナビリティを専門とするコンサルティング企業「Anthesis Group」に所属し、気候変動リスクコンサルタントとして世界を舞台にご活躍されている齊藤成美さん。世界の最前線で気候変動問題に向き合い、トランジションファイナンス「Climate+Positive Investing Aliance (C+PIA)」の ボードメンバーとしてもアクションを起こし続けています。今回は彼女がサスティナビリティ領域へ関心をもったきっかけから現在の仕事にたどり着くまでの挑戦を辿り、これからの未来に向けた想いをお聞きしました。

齋藤 成美

(さいとう なるみ)

Anthesis Group 気候変動リスクコンサルタント/Climate Positive Investing Alliance (C+PIA) Board Member

日系コンサルティングファームでITシステム導入に携わったのち、気候変動解決・対策の最前線で働くべく2022年に渡英。2つのClimate Startupを経て2023年にAnthesis Groupへ参画し、気候変動リスクコンサルタントとしてイギリスと欧州企業の気候関連財務情報開示(TCFD)レポートを支援。C+PIAのボードメンバーとして、ロンドンと東京でのネットワーキングイベント運営やコミュニティづくり・Climate Investment Guideline策定にも取組む。

興味関心に突き動かされ、世界を旅した学生時代

「Anthesis Group」のコンサルタントとして働きながら、「C+PIA」のディレクターとしても活動されている齊藤さん。とてもエネルギッシュなイメージがありますが、どんな子ども時代を過ごされていましたか?

子どもの頃は「おもちゃが欲しい」「犬が飼いたい」といった自分のやりたいことを、ひたすら母に訴えているようなわがままな性格でした。Obsessive…(何かに取りつかれたような…)というと響きが悪いですが、何か一つのことが気になると、全てを捨てて向かってしまうような性格ですね。大人になった今も、目標やビジョンに向かって突き進むところは変わっていないかもしれません。

子どもの頃は環境問題にご関心はありましたか。

大学時代まで関心はなかったと思います。日本の外に出るという考えもなく、初めてパスポートを取ったのも18歳の時でした。私は第一世代として大学進学したため、小学校から高校までは「大学に入学することが目的」で、具体的な将来の夢もありませんでした。「将来の幅が広そうだから」という理由で法政大学の経営学部に進学しましたが、「卒業後、何をしたらいいかわからない」というのが正直なところでした。

海外で働き、目標に向かってアクティブに活動する今の齊藤さんとはギャップがある学生時代だったのですね。そんなご自身が変わったきっかけは何だったのでしょうか。

最初のきっかけは、大学時代にフィリピンへ語学留学に行かせてもらったことです。何となく興味があって行ったのですが、日本では想像もつかない海外の暮らしに衝撃をうけました。そこから世界に目を向け、大学二年生の夏休みにローマから始まり西ヨーロッパから東ヨーロッパを渡り、トルコ・イスタンブールを巡る一人旅へ。冬休みにも2か月ほど東南アジアを巡ったり、ベトナムでインターンをしたり、世界の国や文化に触れることへのめりこんでいきました。

世界中を見て回る貴重な経験をされたのですね。今は海外生活をされていますが、当時の経験で今に活きていることはありますか?

最初の語学留学の時には、ほとんど現地でも日本語しか話さなかったので、あまり英語は上達しませんでした。ヨーロッパを横断するバックパック旅行にて、「とにかく喋る」というスキルが身に付きましたね。毎日知らない人たちと会って、自力で宿をとったり、電車を調べたり……とにかくやりたいことや想いを伝えるためには、色々喋ることが役に立ちました。

日本人は大学受験で難しい文章を理解する力を身につけますが、喋ることを練習する機会は少ないように思います。海外を巡る旅の中で、喋ることが面倒だったり、恥ずかしかったりという感覚が取り払われました。

社内プロジェクトをきっかけに「気候変動問題」を知る

大学での経験をきっかけに、海外へ関心をもつようになったのですね。同時期には「食生活」の大きな変化もあったと伺いました。

大学時代、SNSで「The China Study」という本に出会いました。当時、祖父を癌で亡くした私にとって「癌の疾患率と肉食に関係がある」という内容は衝撃的で、そこからペスカタリアン(*基本は菜食中心だが、魚介類も取り入れる食生活)を始めました。私にとってこの経験は、環境問題に関わることの第一歩だったように思います。

近年は、工場的畜産がもたらす環境負荷や動物に与える影響を背景に、ベジタリアンやビーガンへの関心が高まっていますね

そうですね。しかし、大学を卒業してITシステム導入のコンサルティング会社で働き始める頃には、目の前の新しいことを学ぶのに手一杯で、自然と食生活は元に戻ってしまいました。当時はお金を稼ぐことや昇進することがミッションで、自分のやりたいこともわかっていませんでした。

そんな中、私が入社して2年ほど経ったとき、会社のミッションが突然「SDGsの実現」に変わったんですよ。時代の変化を受けてのことだと思いますが「直接SDGsに関わる事業をしていないのに、どういうことなんだろう?」と気になって。上司、そして社長に想いを伝えてみたんです。

入社2年目にして、社長へ直談判とは急展開ですね!その後はどうなりましたか。

すごく風通しのよい会社だったので、社長も好意的に受け止めてくれて「じゃあ、全社会議でも発表してみる?」と問題提起の機会をいただいたんです。そこから社内でSDGsに関するイニシアティブを立ち上げて、社内の脱プラスチック化やメルマガでのSDGs情報の発信などに取り組みました。周囲も協力してくれる人が多く、本当に環境と人に恵まれていましたね。ただ、その後コロナ禍となり、活動は中止せざるを得なくなってしまいました。

当時(2020年)は企業各社がリモートワークへの対応などで混乱していた時期でしたね。

そうですね、私の仕事もリモートワークになりました。自宅で仕事をしていると、通勤時間がないので自由時間も増え、自分の興味がある話題や時事を掘り下げる機会が増えました。そんな中、社内のSDGsイニシアティブ活動の一環で配信していたメルマガのために調べていたこともあり「気候変動」が目に留まったんです。気になって掘り下げてみると驚きました。全ての生き物に影響を与える大問題について、どうして誰も話していないのか、本当に不思議で仕方ありませんでした。

「気候変動が問題だ」と言われても、ニュースや日々の話題には上がらない……その問題意識が齊藤さんの人生を変えたそうですね。

私自身、問題に気付いてからは自分でできることを色々やってみたんです。家で使う電気を再生可能エネルギーに変えたり、エコバッグを使ったり、プラスチック製品の使用を辞めたり、ヴィーガンになったり……でも、早々に「一人でできることには限界がある」と気付きました。そこで、自分の持てる時間をなるべく長く気候変動問題のために使いたいと、仕事を変える決意をしました。ただ、当時の日本ではまだ「SDGs=コンプライアンス」という意識が強く、職探しは難航しましたね。最終的に、イギリスの友達から「Youth Mobility Scheme Visa」を教えてもらい、就職先を決めないまま渡英。でも、不思議と「絶対、大丈夫だ」という確信がありました。

インタビュー後編では、齊藤さんの気候変動問題に関心をもってからアクションにつなげていくまでのプロセスをお話いただきます。

ぜひお楽しみに!

西 涼子/ライター

種田 毅・阿部 莉子/Lively担当

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