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ふるさとの知恵と素材をつないでつくる、未来につながる美と健康【前編】

2025年09月25日

2025年よりLivelyの広報アドバイザーにご就任いただいた「エスヴィータ株式会社」の代表取締役社長・篠﨑祥子さん。化粧品や健康食品の企画コンサルティングやPR、ブランディング、など幅広い事業を手掛けながら、2024年には自社ブランドの化粧品「TEUDU(テウズ)」を立ち上げ、サステナビリティを意識した「美と健康」づくりに注力。リジェネラティブな未来を目指すプランニングスタジオ「i CREATE(アイクリエイト)」メンバーとして、地域貢献や環境活動にも積極的に取り組まれています。今回は、篠﨑さんの起業までの道のりと、地元である岩手県の素材と文化から生まれた化粧品ブランド「TEUDU」の開発ストーリー、サステナビリティへの想いを伺いました。

篠崎 祥子

(しのざき しょうこ)

エスヴィータ株式会社 代表取締役

大手外資系化粧品メーカーで、主に広報、PRやマーケティングに従事。その後も国内化粧品メーカーの広報・PRを担当しながら、商品企画も兼務し、取材対応やイベントの計画立案、プロモーション活動の幅を広げる。
2016年にビューティ&ヘルスに特化した企画PR会社を立ち上げ、ブランディング、マーケティング、PRやマーケティング等、多角的なコンサルティング事業を展開。現在は上場企業社外取締役も兼務。

自身と向き合い、納得のいく肌理論を探し求めた創業期

美容・健康のプロフェッショナルである、「エスヴィータ株式会社」代表取締役社長・篠﨑祥子さん。まずは、現在の会社を立ち上げるまでの経緯をお教えください

中学時代、地元・岩手県一関市が姉妹都市を結んでいたオランダへ交換留学したことをきっかけに、海外へ興味を持ちました。大学でも外国語を専攻し、2年次にオランダの大学へ編入。美容や健康に興味があったため、大学卒業後はそのまま外資系化粧品メーカーへ入社しました。営業・広報・商品企画・CRMなどを経験。その後、“大きな転機”があり、今に至ります。

すでにドラマチックなご経歴ですが、その後の“大きな転機”とは何だったのでしょうか?

転職をし、3社目で韓国コスメのブランドマネージャーを務めながら、グループ会社での「新ブランドの展開とオリジナルプロダクトの開発」という重要なポジションを任されていた時期のことでした。無理をしていたのか、偶然なのか……生まれつきの持病が悪化してしまい、移植手術が必要な状態になってしまったんです。

幸いにも手術は無事に成功しましたが、「大切な時期の会社に迷惑をかけてしまうのではないか?」「今後、自分は今までのように働き続けられるのだろうか?」と考え、退職を決意しました。その後はフリーランスとしてこれまでの業務を担当することになり、商品開発や広報のコンサルティング会社として「エスヴィータ株式会社」を立ち上げました。

ご自身の体が大変な時期、しかも、退職後2か月での創業と聞いて驚きました。もともと独立することは計画されていたのでしょうか?

まったく意識していなかったですね。当時は無我夢中でしたし、何より「家族のように心配してくれる元職場へ恩返ししたい」という一心でした。創業から今年(2025年)で10年になります。今振り返ってみても、「こんなに続くとは」という気持ちでいっぱいです。

創業当時はコンサルティング会社だったとお聞きしましたが、そこからどのように事業を拡大されたのでしょうか?

前職での経験を元に、少しずつ販路を拡大していきました。とはいえ、最初から全て上手くいったわけではありません。当時の仕事は「〇億円売れる化粧品を作ってほしい」という依頼形式ばかりで、中には化粧品のベースとなる考えが欠けている現場もありました。もちろん、仕事の事業計画や利益は大切ですが……たくさんの経験を積む中で「私自身が信じられる肌理論に基づいた化粧品を作りたい」という想いが強くなりました。

そこから、徹底的に研究・開発を進め、約10年の時を経て「TEUDU」ブランドを立ち上げることができました。

研究・開発期間は10年!すごいですね

あまりにこだわりすぎて、永遠にリリースできないかも……と思いました。地元の素材を使いながら、体と環境に良いプロダクトができたと思います。とはいえ、まだやりたいこと全てが叶えられているわけではありません。今後も理想に向かって、改良を重ねていきたいと思っています。

化粧品づくりのベースは地元の素材と食文化

篠﨑さんのご出身は岩手県一関市でしたね。どのような幼少期を過ごされたのかお教えください

家族は曾祖母と祖父母、両親、私、妹の6人で、兼業農家の家庭に生まれました。曾祖母は自分で食べるものを自ら育て・作ることにこだわっていて、幼少期から一緒に漬物や味噌、納豆、野菜、米づくりを教わっていました。私はとにかくおてんばな子どもで、靴を履くことを嫌がって裸足で登校したこともありますし、木登りや野遊びをして自然に身を置くのが好きだったようです。牛や鶏を飼っていたこともあり、多くの生き物や自然に囲まれて育ちました。

今の篠﨑さんのイメージからは想像できない子ども時代ですね。食事もただ料理するだけでなく、食材づくりから保存食づくりまでされていたんですね

食は昔から身近で、大切なものでしたね。食事は家族の中で“作れる人が作る”スタイルだったので、子どもの頃からよくお手伝いをしていました。地元は東北の中でも「餅文化」が盛んな地域で、100種類くらいお餅の種類があるんですよ。現在の化粧品づくりにも、地元で学んだ保存食の効果や食材の栄養価についての知識を応用しました。

インタビュー後編では製品づくりへのこだわりと、事業を通したサステナブルな社会に向けたアクションについてお話しいただきます。

後編もお楽しみに!

西 涼子/ライター

三浦 友見・阿部 莉子/Lively担当

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