Lively

農業

土を耕し、人を育てる リジェネラティブ農業を実践する「にこにこ農園」【前編】

2025年11月15日

神奈川県藤沢市の「にこにこ農園」では「農薬や化学肥料に頼らない野菜作り」をモットーに、自然と人が有機的に関わり合いながら不耕起栽培に取り組んでいます。代表の井上宏輝さんは、雑草を活かして野菜を守り、土中の微生物の力を活用する「新たな農業」の形を模索するだけでなく、鶏や蜂の飼育、調味料の製造、ユニバーサルな農園づくりなど幅広い挑戦をし続けています。

今回は同じく農園の運営に関わる中村千栄さんにお話を伺い、石井望都子さんにもご協力をいただきながら、にこにこ農園のストーリーと農業への想いをお聞きしました。

井上 宏輝

(いのうえ ひろき)

にこにこ農園園主

2008年にこにこ農園を設立し、2023年1月に「特定非営利活動法人ma,icca!! にこにこ農園」として活動を開始。10年以上の有機農業の経験をもとに、マルシェを中心とした顔の見える野菜販売に加え、多様な人が関わるきっかけとなる場づくりを行う。研修生を受け入れ、農福連携にも取り組む。パナソニックの地産地消プロジェクト「ハックツ!」に参加するなど、企業との共創活動も積極的に実施。地域、個人、組織との交流を増やし、次世代により良い土壌とコミュニティ基盤を残すため、誰もが自然の中で尊厳をもって関われるユニバーサル農園の構築に取り組む。


学び舎を飛び出し、理想の農園を目指して

以前、井上さんは養護学校の先生をされていたそうですね。まずは農業を始めたきっかけをお教えください

井上さん)農園をひらく前、8年ほど養護学校で教師として働いていました。生徒は知的障害のある子どもたちで、授業の一環として農作業をする機会があったんです。農作業は通常の授業と違い、教師も生徒も一緒になって考え・体を動かせるのがいいんですよね。授業を受けることや日常生活に課題がある子でも「この野菜を食べたいから一緒に作ろうよ!」「作業して汚れたからお風呂に入ろうか?」と誘えば自然と行動できる。生徒達にとって、農業の世界はわかりやすくて居心地のいい世界なんだと感じていました。

一方で、子どもたちが学校を卒業した後の進路は狭く、社会に居場所が少ないことへ危機感を持っていました。福祉事業所に行くしかない子もいる現状が悔しくて、生徒たちの居場所をつくるためにも、自分で農園を作ろうと思ったんです。

子どもたちの居場所作りのために、教育の世界から農業の世界へ飛び込まれたのですね。井上さんご自身は、農業に興味があったのでしょうか?

井上さん)私は農業高校出身で、大学では微生物の研究をしていたこともあり、農業は興味のある分野でした。もともと部屋の中で仕事をするよりも、外で仕事をするほうが性に合っていたので、農家になってよかったです。

また、教師として農家さんと関わっていた時、耕作放棄地や後継者の問題をよく聞きました。そこで、農業の課題解決にも関わりたいと思い、耕作放棄地を活用した農園を始めました。

耕作放棄地からのスタートは大変ではありませんでしたか?

井上さん)大変でしたね。最初は小さな木が数本と雑草がたくさん生えた空き地で、まずは木を切るところから始めたんですよ。草刈り機で刈れるサイズの木を切って、根を掘り起こす作業を1か月くらい続けました。でも、土は十数年放置されていたせいか、団粒構造をしていて柔らかく、すごく状態が良かったんです。

*団粒構造:土壌粒子が小さな塊状に集まった土の構造。通気性と水はけが良いことが特徴。

団粒構造の土壌は水はけ・水持ちが良く、空気も通るので、植物が育ちやすいと聞きますね

井上さん)そうですね。土の構造は耕すと元には戻らないので「安易なことはできないぞ」と思い、農業の師匠である相原成行さんに相談へ行きました。相原さんは藤沢で有機農業をされている農家さんで、レジェンドと呼ばれるほどすごい方なんですよ。相原さんは土へ寄り添ったアドバイスをくださって、私にアカデミーへ行くことも勧めてくれました。このアドバイスがなければ、就農できていなかったかもしれません。今につながる近道を教えていただきました。

井上さんにとっての農業の師匠の的確なアドバイスが「にこにこ農園」の誕生につながったのですね。農園のモットーは「農薬や化学肥料に頼らない野菜作り」とお聞きしていますが、最初から栽培方法はこだわっていましたか?

井上さん)将来的には教え子のような障害のある方はもちろん、様々な方と農業をできたらいいなと思っていたので、初めて来た方や子どもが土を口にしたりそのまま野菜を食べたりしても危険がないよう、当初から化学肥料や農薬を使わない有機農業でやろうと思っていました。

まずは5年ほど、土を耕さない・畝を立てない「不耕起栽培」を始めました。畑に鍬を少しだけ入れて種を蒔く手間のかかる方法ですが、団粒構造の土壌からはすごくいい野菜が採れました。次に、収穫量を増やすために、土地を耕す時期を過ごしました。質も量も申し分ない野菜が採れましたが、2~3年ほどで土の力を使い切ってしまい、良い野菜が採れなくなってしまいました。その後は有機肥料も試しましたが、土中の微量要素が欠けてしまうのか、あまりうまくいかなかったですね。化学物質過敏症のお客さんから「有機肥料も使わないでほしい」というリクエストもあり、今は肥料を使わない不耕起栽培での野菜作りをしています。

有機的なつながりが生み出す居場所

井上さんと共に挑戦を続けてきた中村さん。「にこにこ農園」と関わり始めたきっかけは何だったのでしょうか?

中村さん)前職はハローワークに勤めており、就労支援事業を担当する中で、就農希望者の実習受け入れ先の「にこにこ農園」を知りました。当時の農園は「日々後ろには進んでいないけれど、前にも進めていない」状態でしたね。井上さんの想いを発信することもできていませんでしたし、広く人とつながるような仕組みもありませんでした。でも、絶対に地域や社会にとって必要な場所だと強く感じました。

その後、農園作りに参加し、3年ほど前にNPO法人を立ち上げ、少しずつ地域の方や農業に興味がある方、障害を持っている方とのつながりを持つことができました。今はふらっと遊びに来てくれる人や、イベントの時に力を貸してくれる人など、多くの人が集まる場になっています。

地域の人たちとのつながりが生まれたことで、井上さんはどのような農園の変化を感じていますか?

井上さん)自然と作業を手伝ってくれる人がいたり、差し入れをもってきてくれる人がいたりして、面白い場所になってきたと感じています。農園があることで地域の中に風が通るような、いい流れが生まれている気がするんです。

最近は福祉施設の方も農作業を手伝ってくれています。最初は遊びに来ていただけでしたが、農福連携制度を活用して、互いにとっていい形を見つけることができました。農家を目指す研修生や卒業生の皆さんも来てくれて、賑やかな農園になっています。

地域の中に農園があることで、良い循環が生まれているのですね。中村さんが「地域や社会にとって必要な場所だ」と言われた意味が伝わってきます

中村さん)私はこの農園が「誰かの居場所」になれる存在だと思っています。以前、農園に不登校の小学生が来ていたことがありました。学校には行けなくても、自転車で農園に通って、農作業をして、おじさんたちとお話して……決して楽ではなかったと思いますが、そういう生活を3年ほど続けていた子がいました。

井上さん)ある日、急に畑に来なくなったので連絡すると「学校に行き始めた」というので驚きました。思わず「何で学校行ってるんだ、畑に来いよ!」と言ってしまいましたね。ダメな大人たちを見て、危機感が生まれたのかな。その後、無事に高校に入学して、今は大学に通っているそうです。

その子にとって、農園での関わりが人生を変えるきっかけになったのでしょうか?

中村さん)「なんだか心が苦しいんだよな〜」みたいな方がちょこちょこ畑に来られることがあります。鶏に関わると元気になる人もいたりして人同士というか生き物同士という感じで自分の居場所を見つける人も見受けられます。

「にこにこ農園」の農業以外の取り組みも教えてください

井上さん)今は醤油や味噌などの調味料づくり、鶏と軍鶏の飼育、養蜂をしています。

調味料は「手作りしてみたい」という声があり、育てた大豆や麦を仕込んで作っています。大鍋を前に色々な人たちが集まって調味料を仕込む様子は“村仕事”のようで、地域の方とコミュニケーションをするいい機会にもなっています。

鶏と軍鶏は、にこにこ農園のメンバーが保護団体から譲り受けた動物達です。畑を歩き回るので野菜をついばむこともありますが、糞は肥料になりますし、卵も採れます。歩く様子が可愛いのか、近所の方や通りがかった方が鶏をじっと見ていることも多いです。今後はもう少し数を増やしていけたらと考えています。

養蜂は知り合いの養蜂家の方に巣箱を設置していただきました。最近は花によって蜜の味が変わることを知り、蜂が住みやすい環境づくりについて考え始めたところです。以前は伸びる前に刈っていた雑草も「花が咲いたら蜂が喜ぶかな」と思うと、ちょっと残すようになりました。人だけでなく、植物や虫、動物のことを考えて農園づくりをしています。

インタビュー後編ではLivelyと共創する未来、そしてにこにこ農園のビジョンについて詳しくお話しいただきます。

後編もお楽しみに!

西 涼子/ライター

種田 毅・阿部 莉子/Lively担当

Receive all the latest news, events and insights from Lively